日本の液体水素技術の特徴と国家プロジェクト
日本は1980年代から宇宙ロケット燃料用に液体水素技術を培い、現在、その知見を民間エネルギー分野へ応用するフェーズにある。国家を挙げた取り組みの象徴が、**川崎重工業が建造した世界初の液体水素専用運搬船「すいそふろんてぃあ」**を中心とした実証プロジェクトである。
このプロジェクトは、オーストラリア・ビクトリア州の褐炭から製造した水素を現地で液化し、日本へ海上輸送し、神戸の荷受け基地にて貯蔵・気化する一連のサプライチェーンを実証するものだ。ここで克服すべき核心技術は以下の通りである。
- 極低温の維持(熱侵入の最小化): 長期間の航海において、外気からの熱侵入による液体水素の蒸発(ボイルオフ)をいかに抑えるか。運搬船には、高度な真空二重断熱構造を採用した12.5万リットル級タンクが搭載され、熱侵入量を限界まで抑制する設計が施されている。
- ボイルオフガス(BOG)の管理: 完全に断熱することは不可能であるため、必ず発生する蒸発ガスの処理が重要。船上ではBOGを燃料として活用するシステムが求められるが、需要と発生量のバランス制御は複雑な課題である。
- 極低温脆性対策: マイナス253℃という極低温環境では、通常の金属材料は脆くなり、破壊の危険性が高まる。タンクや配管には、低温でも靭性を保つオーステナイト系ステンレス鋼などの特殊材料が必須となる。
- 安全規制の策定: 液体水素の海上大量輸送は前例がなく、国際海事機関(IMO)と連携した新たな安全基準(IGCコード改定)の策定がプロジェクトと並行して進められた。
貯蔵・輸送方式の比較評価と液体水素の立ち位置
水素の運搬・貯蔵方式は用途と規模に応じて選択される。液体水素は、その高密度という圧倒的利点と、極低温管理という難点を併せ持つ。
| 方式 | エネルギー密度・輸送効率 | 主な適用スケール・用途 | 核心的課題と現状 |
|---|
| 高圧ガス (70MPa) | 低~中。体積効率は液体の約1/4。 | 燃料電池自動車(FCV)、小規模貯蔵、短距離輸送。 | 軽量かつ高強度の炭素繊維強化樹脂(CFRP)タンクが高価。輸送コストが距離に比例。 |
| 液体水素 (LH2) | 極めて高い。気体の約800倍の密度。 | 海外からの大量・長距離海上輸送、大規模貯蔵基地、航空宇宙。 | 液化に多量の電力(水素保有エネルギーの約30%)を消費。断熱コスト高。貯蔵中の定常的なBOG発生。 |
| 有機ハイドライド (LOHC) | 中。トルエン等の有機物に水素を結合。 | 既存の石油化学インフラ(タンク・タンカー)を流用可能な中距離輸送。 | 脱水素(水素を取り出す)工程にエネルギーコストと専用設備が必要。媒体自体の重量が嵩む。 |
| アンモニア (NH3) | 高い。水素原子密度が高く、液化が容易(-33℃)。 | 燃料としての直接利用(発電、船舶)も視野に入れた輸送キャリア。 | 毒性と腐食性への対策。窒素分離または直接利用技術の確立が必要。 |
この比較から、液体水素は「純水素」の形態で最も大量・長距離輸送に適した方式であることが分かる。特に、日本が構想する海外産水素の輸入体制においては、欠かせないオプションのひとつと言える。
今後の展望と克服すべき課題:コスト競争力への道筋
日本政府は「水素基本戦略」を改定し、2030年までに水素供給価格を30円/Nm³程度(現在の約1/3)、2050年には20円/Nm³以下を目指すとしている。液体水素サプライチェーンの実現には、以下の課題克服が急務である。
- 液化コストの劇的削減: 最大のボトルネックである液化エネルギーを削減するため、大規模化による規模の経済効果の追求と、新規冷凍サイクルや熱交換器の開発によるプロセス効率向上が並行して進められている。
- BOGの価値創造: 貯蔵・輸送中に発生するBOGを「ロス」ではなく「燃料」として確実に活用するシステム最適化。需要のない場合は再液化する技術も重要となる。
- サプライチェーン全体の最適化と標準化:
- 荷役設備(ローディングアーム)などの接続部の国際標準化。
- 水素の製造・液化・輸送・貯蔵の各段階をシームレスに繋ぐ情報管理(トレーサビリティ)システムの構築。
- 需要地近傍での大規模液体水素貯蔵タンクの建設と安全基準の確立。
結論
液体水素技術は、日本がエネルギー輸入国としての立場を活かし、将来の「水素輸入大国」を目指す上で不可欠な基盤技術である。世界初の運搬船による実証プロジェクトは、技術的可能性を示すとともに、コストや規制といった現実の壁を明確にした。今後は、液化技術の革新とサプライチェーン全体のインテグレーションを通じたコスト競争力の獲得が最大の焦点となる。アンモニアやLOHCなど他方式との適材適所な組み合わせも視野に入れながら、液体水素は、脱炭素社会の実現に向けた日本のエネルギー安全保障を支える重要な柱として、その基盤を固めつつある。